誰かの当たり前の価値観に、傷ついたことはありませんか。
当たり前や普通という感覚が自分に当てはまらなかった時、人は何ともいえないモヤモヤとした感覚になるのかもしれません。
今回は、私が子どもの頃から言われ続けてきた、母からの言葉に、傷ついていたんだと自分の気持ちに気づいたお話しです。
私を否定する言葉
「直しても直しても、直らないんだから」ちょっと顔を歪めながらの、母の言葉にいつも嫌気がさす。
わざわざ言い返すほどでもないんですが、後からゆっくりジワジワくる何ともいえないモヤモヤ感。
私の母は、何万回話すのだろうというくらい同じ内容の話を何度もするので、いつしか段々と聞き流せなくなっていました。
記憶にはないんですが、幼い頃から私は左利きです。
母親にしつけとして直されたことで、どうにか右手で書くことは出来たんですが、もともとは左利きなので簡単にはいきません。
40年以上経った今でも、お箸や包丁、裁縫などの細かいことをするには左手を使います。
そもそも左利きはダメなことでしょうか。
本当に直さなければいけないことでしょうか。
自己肯定感の低さの原因
自宅から徒歩圏内のところに実家があります。
一人暮らしの80代の母は車の免許を持っていないので、買い物や病院への送迎などで普段から会うことが多いんです。
その時はあまり言わないのですが、なぜか親せきが集まっている時に限って言う母の言葉に、私はいつもモヤモヤしていました。
1年に何度かみんなで集まる食事会。ワイワイ楽しくおしゃべりをしながら、いつものように始まります。
その時、左利きで食べる私の方を見て、「この子は、(左利きを)直しても直しても直らなかった」の母からの言葉。
もう何回聞いたかわからない。
たわいもない会話の中で交わされた言葉でしかないのですが、私はこの言葉を聞くと今でもモヤモヤした気持ちになります。
私は自己肯定感が低くて、どこか自信がなく周りの目を気にしたり、人の意見に振り回されてしまうようなところがあります。
長年、この性格が嫌いでした。
以前は、なんでこんな性格なんだろうと気にも留めてませんでしたが、今となっては私の自己肯定感の低さの原因がハッキリとわかります。
それは、左利きである私は、何十年も前から母親に、直さなければいけないダメな子と否定され続けていたんです。
自分のことを否定していた

母に、私を否定するとか私のことが嫌いという意図はないと思っています。
なぜなら、母はすごく愛情深いところがあるから。
ただ単に、親せき同士が集まって会話が途切れた、気まずい雰囲気を解消するための、話題に過ぎないんだと思います。
でも、私はいつも左利きの話しが出ると、モヤモヤした気持ちにもなったし、ちょこっとだけ心がざわざわ落ち着かない感じがしました。
母なりに、私が周りと違ったら苦労するかもと、私のことを思って左利きを直そうとしたのかもしれません。
正直なところ私自身、左利きで困ったことはそんなになくて、あえていうならレストランの食べ放題の料理にある、スープのお玉の注ぎ口が逆になり少し使いにくいことや、定食屋さんのお味噌汁とごはんの位置が逆で、ちょっと食べにくいことぐらい。
「サウスポーでかっこいい」とか、「器用だね」と言われることが多いから、トータル的にプラスのことが多いくらいです。
でも、母は違っていました。
母は左利きはダメだと決めつけ、どうにか右利きに直そうとしました。
直すって寝ぐせじゃないんだから、簡単には直らない。
私は、幼いころから、どこか母に認められていないような感覚がありました。
その時は、自分でもよくわからなかったんですが、今では、わかるような気がします。
普通ではない左利きの私を、母は認めることが出来なかったんだと思います。
この左利きの話しが出ると、今でも、ちくっと少し胸が傷みます。
そして左利きの私は、母から認められていないダメな私というように、無意識のうちに自分のことを、ずっと責めていたし否定もしていました。
だけど今は、前ほど自分のことを責めなくなりました。
それは、ずっと母から認められていない感覚があったから、自分を責めていたんだと気づくことが出来たから。
そして、母の持っている固定観念や価値観に合わせる必要もないですし、当たり前のことだけど、左利きだからといって私の価値が下がるわけではないということです。
固定観念は、時に人を傷つける

以前、いつもきまって言う母に、「左利きの何がダメなの」と、訪ねたことがあるんです。
そうすると、「あの時代は右利きが普通だった」との答えでした。
一瞬、笑いそうになりながらも、時代は関係ないような気がしましたが、昔から「普通が一番」と母が口癖のように言っていたので、そういうことかと理解はできました。
だからといって、その答えでは到底、納得はできないし、モヤモヤした気持ちが晴れるわけでもなかったです。
きっと母は、ただ私のことを普通にしたかったんだと思います。
そして、母にとっての左利きは普通じゃないということなんです。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみると、これってどこにでもある、よくある話のような気がします。
ある程度の年齢になったら結婚するのが普通、結婚したら子どもがいるのが普通、会社員で定年まで働くのが普通。
この例は少し時代遅れではあるかもしれませんが、今の時代にもこれが普通だよねっていう感覚は、人それぞれあると思うんです。
既読したら、すぐに返信するよね、とか。
もちろん私にも、自分でも気づいていない普通という感覚の部分もあると思います。
育った環境の違いや、年齢や性別が違えば、みんな違った普通やそれぞれの価値観があります。
自分にとっての普通は他者にとっては普通ではないこともあって、自分の価値観や物差しだけで物事を見て判断していると、自分と価値観が違う人のことを否定してしまう、ということにもなります。
母は悪気があったわけではないと思いますし、故意に私を傷つけようとしていたわけでもないと思います。
自分にとっての普通を、貫いているだけなのかもしれません。
ただ、そのことによって私は、存在自体が否定された気持ちになっていました。
自分の価値観を押しつけてしまうと、時に、知らず知らずのうちに、誰かを傷つけているかもしれないということを、忘れてはいけないのかもしれません。
当時の母は、親として周りと違ったらかわいそうだと、私のために左利きを直そうと、してくれていたのかもしれません。
母の愛情をじんわりと温かく感じられました。
いろいろな大切なことに、気づかせてくれた母に今では感謝しています。
「さぁ、今日は、母と何話そうかな。」